僕らの学舎E-1077(4)




がたんっ!
椅子が大きな音をたてた。
シロエが言葉を発するより先に、ジョミーは席をたって駆け出したのだ。
予想外の展開にシロエが驚いてしまう。
「ジョミー!」
珍しくキースが慌てたように追おうとするのを
シロエはとっさに手を掴んで引き止める。
「なんで・・・・」
それ以上言葉が上手く言えない。
だがキースはわかったのか、
それともジョミーを追いたい故の焦りだったのか
一言だけ言い捨ててシロエの手を払った。
「ジョミーは成人検査前の記憶を一切無くしていない」
衝撃を受けたようなシロエの目。
それを最後にキースはその場を離れた。





「ジョミー!」
行き先を予想して先回りしたキースがジョミー前に降りてきた。
ジョミーがしたように手すりを越えたのだ。
キースを見止めて、ジョミーの足が止まる。
「キース・・・」
そう呼ぶジョミーの声も顔も、泣きそうだった。
キースは思わずジョミーを抱きしめる。
「みんな・・・皆あんなふうに大切な記憶を無くしてるんだ・・・」
ジョミーはキースに縋り付く。
「ぼくだけ、どうして・・・」
覚えてるんだろう。
そう続くであろう言葉にキースは問いかける。
「忘れたいのか?」
「忘れたくないよ!大切なものだから絶対に無くしたくない・・
 でも、誰かが記憶を無くしたのを・・・
 その欠落の不自然さを見せつけられるのが痛いよ・・・」
ジョミーがキースの傍にいる理由。
キースは記憶を一切持っていない。
だから、『失った』という感情がない。
それがジョミーには安らぎだった。
サムやスウェナと話していても、
どうしても彼らの記憶から抜け落ちた場所を見つけて
その度に苦しさを負った。
大切だったはずのものを失った彼らを見るのが辛かった。
それでも本人達が気付いていないからと
ジョミーは笑顔を作ってやり過ごしてきた。
だが、シロエは違った。
失ったことを覚えていた。
失ったことに対する怒りと悲しみを抱いていた。
強く胸に叩きつけられる感情が苦しくて切なかった。
「本当は、あんなに辛いんだ!
 記憶を無くしてしまうのは・・・
 大切なものを無くしてしまうのは!!」
叫ぶジョミーをキースはより強く抱きしめる。
「そうだな、お前のように暖かい記憶を失ってしまうのは辛いだろう」
キースはジョミーが好きだった。
記憶を持つ、自分と正反対の存在が。
その身に抱く
明るい、暗い、切ない、優しい、苦しい、暖かい、
沢山の感情と記憶を持つジョミーが。
そして、無理やり大人にされたもの達と違って
自分の足で、自分のペースで成長して行く姿が、とても美しく見えていた。
本来あるべき何かを失わずに持っていて
キース自身が道を失いかけたときに照らしてくれるような
そんな明るさをもつジョミーのそばにいるのが好きだった。
それが記憶のお陰だというならここにいるジョミー以外のものは
なんと欠落した・・・させられた存在だろうと思う。
シロエにもジョミーに似た何かを感じた。
だがジョミーと違うのは、おそらく失ってしまっているせいだ。
暖かく切ない、優しい記憶を。
ジョミーもその事に気付いたのだろう。
シロエ自身がその事実に気付いていることも。
だからジョミーは辛いのだ。
他の者は失ったことへの辛さがなかった。
それだけならば自分との違いに寂しさを感じるだけだった。
しかしシロエは違った。
初めてジョミーは失うことの『本当の辛さ』に触れたのだ。
だから思わず逃げ出した。
自分の甘えから。
「無くしてないことの違いに対する違和感なんて
 そんなに大したことじゃなかった」
自分が覚えていることを覚えていなくて寂しいとは
なんと贅沢な寂しさだったことか。
「あんなに・・・あんなに苦しいんだ・・・」
まるでその苦しさを受け取ったかのように、
涙こそ流していないが、ジョミーは唇を震わせていた。
「ぼくは、どうしたらいい。
 失ったことにあんなに苦しんで、悲しんでいるのに
 ぼくには彼の気持ちを理解してあげることも出来ない!」
記憶が大切だと一番知っているはずの人間なのに。
「ジョミー!」
覚えているのはジョミーの責任ではない。
それなのに自分が悪いように思うのをキースはやめて欲しかった。
「当然だ、人間はそうそう他人を理解できるものじゃない」
だから、お前だけで抱え込もうとするな。
そう言ってやりたかったのに、ジョミーは首を振る。
「でも、彼の気持ちは痛いほどわかるのに」
「わかるからと言って理解できるのなら
 争いなど怒らないだろう?」
「そうだけど、でも・・・・」
キースはジョミーの肩を掴んで目を合わせる。
「とにかく落ち着け。
 そんな状態で考えたって、いい考えが纏まるとは思えない」
「でも、でも・・・・」
しかし興奮状態のジョミーはなかなか収まらない。
キースは溜め息をついた。
「すまない」
耳元で囁くようなキースの言葉と同時に、
ジョミーの腕にちくりとした痛みが走る。
「きー・・・・」
ジョミーは驚いてキースを見上げるが呼ぶこともままならず
意識を手放した。
キースはその体をしっかりと抱きとめる。


ジョミーの目尻に溜まっていた涙が、頬に伝った。









コメント***

今回はキスジョミ色強めです。
本当の意味で『記憶を無くす辛さ』に出会ってしまって
ジョミーはやや混乱気味。
次もキースとジョミーからスタートです。
置いていかれてしまったシロエも次か次の次でちゃんと出しますよ。